profile
院長プロフィール
PROFILE
院長プロフィール
- 名前
- 中村 卓(なかむら たかし)
- 生年月日
- 1957年1月7日
- 出身地
- 京都市生まれで1歳から22歳まで豊中市で育ちました
- 出身大学
- 大阪大学歯学部
- 現在のマイブーム
- 求人、院内システムの整備
- 好きなもの
- 家族、熱帯魚、仕事を頑張っている自分
- 苦手なもの
- 日本語が通じないけど、コミュニケーションを取らないといけない生き物
- 長所
- 根気がある。細かなことに気が付く
- 短所
- 自分が一番正しいと思っている
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Q. 趣味、休日の過ごし方は?
ワーカホリックなので、熱帯魚の世話をしたり、ビデオを見たりするほかは、ほぼ仕事のことを考えています。
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Q. 学生時代のおもしろエピソード
面白くはありませんが、「1診(大学で学生のうちに指導者の下で行う診療の部屋)」時代に、作製したメタルインレーを患者さんの口に試適したところ外れなくなりました。
ライター(指導教官)に尋ねると「どんなものでも引っ付けてしまう飴がある」と聞いたので、患者さんを待たせたまま中之島から梅田まで、その飴を買いに行きました。
結果として外れて無事装着できましたが、患者さんを随分無駄に待たせてしまいました。
残りの飴は指導教官の好物で、喜んで食べました。
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Q. 自分の性格を一言で表すと? その理由は?
「アナライザー」
子どもの頃から「物事には訳がある」と考える人間で、論破されるのが嫌い。これまで自分がいろいろな勉強をしてきた理由としては、好奇心・羞恥心・優越感の3点に負うところが大きいと思います。
好奇心:この道具はなぜこんな形をしているのだろう? この人はなぜこんな行動をとるのだろう? この数式は何の役に立つのだろう? etc.
羞恥心:みんなが知っていることを自分だけ知らないと恥ずかしいし、論破されてしまう。
優越感:「みんな知らないだろうけど、僕は知っているよ。ムフフ・・・」みたいな気持ち。議論をした時に相手を論破する材料にもなります。 -
Q. 周りの人からはどんな性格と言われる?
その理由は?「キッチリしていてスキがないが、嫌み」
私と話をする相手の人は、一言二言話すと少し身構えた感じになることが多いようです。
歯科医師会の理事をしている時にも、先輩から「たくちゃん(私の愛称)は、黙っていても存在感があるからなぁ」と言われたことがありますし、地域の自治会の会議などでも、私が発言した後は、大抵すぐに結論が出ます。
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どちらのタイプ?
BY STAFF
スタッフが見た、先生の〇〇度
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よく食べる度
100%
同年代の方と比べて、食欲旺盛で背筋がピンとしていて元気です。
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DIY好き度
100%
カンファレンスルームの机の上に棚をつくったり、机の脚を長くしたり……。
自分でつくるのが好きみたいです。 -
声が大きい度
100%
聞き取りやすい、大きな声です!
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スタッフのお弁当に興味津々度
100%
見慣れないカップ麺などを食べていたら「これいくら?」とか聞いてきます(笑)
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技工作業が好き度
100%
技工に詳しくて、なんでも教えてくれます。中村歯科医院に入ってから技工士としてスキルアップできたと思います。
HISTORY
院長ヒストリー
私が中村歯科医院の院長として働くまでのエピソードをご紹介します。
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今につながる小学校の記憶
両親が滋賀県の湖西地方の出身で、夏休みには必ず帰省し、いとこ達と琵琶湖で泳いでいました。
家ごとに山の水を引いてきた「生け簀」があり、鯉を飼ったり、スイカを冷やしたりする、水が豊富な環境。今でも水が流れる音を聞くと癒やされます。
囲碁を趣味にしていた父が五目並べをよくやっていて、そこで理屈を考える癖がついたように思います。さらにレゴブロックも好きで、手先の使い方や簡単な力学も学んだ記憶があります。 -
世の中には想像を超えるものがある
私が通っていた小学校には卓球クラブがなかったため、てっきり卓球というスポーツは中学生からするものだと思い込んでいました。
しかし、近隣いくつかの小学校から集まる中学で卓球部に入ると、同級生でも経験者がいて全く歯が立たないことに驚かされ、自分の経験した世界がすべてではないことを知りました。
そこから、世の中には自分の想像を超える物事が山ほどあると知り、見聞を広めることが必要だと痛感。後悔しないように準備する習慣が付きました。 -
オイルショックで方向転換
基本的に人とのコミュニケーションは苦手で、一人で黙々と考えるのが好きなこともあり、高校時代までは建築士になりたいと思っていました。
しかし、高校2年の夏にオイルショックが起こり、景気に左右されにくい職業に就きたいと考えるようになりました。その時も歯科医師だった父親は比較的涼しい顔をしていたため歯科医師に方向転換しました。結構軟弱な動機です。 -
すべての患者さんに対応できる歯科医師に
臨床家としてどのような患者さんにも平均点以上の対応ができる General Practitioner になりたいと考え、卒業後は特定の教室には残らず、多くの患者さんに遭遇できる総合病院を就職先に選びました。
そこには難症例や麻酔の必要な患者さんも多かった半面、大阪の下町特有の「時は金なり」的意識の強い地域柄で、治療の質とともに時間や費用面でも工夫の連続でした。 -
患者さんが最も幸せになる選択肢を
歯科医師の進路としては主に ①大学に残って研究職になる ②病院や大規模医院の勤務医になる ③独立開業する の3つがありますが、責任も権限も含めて自分で決めて行動したかったので、4年間の勤務医を経て開業を選びました。
開業初日の患者さんはたったの14名でしたが、目の前の患者さんを必死で診ているうちに、いつの間にか昼休みが過ぎてしまったぐらい緊張していました。
さまざまな患者さんを診るうちに「学問的に正しい処置」が「必ずしも患者さんを幸せにしない」ことに気づき、それ以来「患者さんの真のニーズを引き出して、それに応えられる知識とスキルを身に着ける」ことに努めています。